呼吸にまつわるトレーニングプール

2025年5月、東京の日比谷公園にて開催されたHibiya Art Parc 2025 にて、市民参加型パフォーマンス『呼吸にまつわるトレーニングプール』の第2弾「皇居のお堀編」が行なわれた。
公募で集まった参加者は出演者と観客にわかれ、出演者は「人間ではない小さな生き物」となり、シェイクスピア『ハムレット』のオフィーリア溺死の場面を水中生物の視点から上演。観客は、散策者としてその姿をこっそり観察する──
このユニークな演劇的・ダンス的試みについて、演出家の上田久美子にインタヴューするとともに、参加者として体験したことをレポートする。
(インタビュー&レポート 竹内涼子)
上田久美子インタビュー
──今回のプロジェクトは『呼吸にまつわるトレーニングプール』の第2弾ということですが、そもそもこの企画が生まれたきっかけは?
きっかけはコロナ禍でした。
2021年にコロナに感染して2週間ホテルで隔離された結果、私は人が普段の知覚と世界認識からすり抜ける方法に関心を持ち始めました。
隔離中、最初はどこにも行けず何もできないことを牢獄のように感じたのですが、次第に私を圧迫しているのはその制限そのものではないことに気が付きました。
「毎日なんでもいいから生産的なことをしなければいけないし、何をやるか選択するのは自分だ」という無意識の倫理観によって自分で自分を圧迫していたんです。でもそれを実行するのが不可能なので諦めてじっとしていると今度は逆に、修道女の落ち着き、みたいなものが生まれてきた。
そこでは物心ついて以来初めて貨幣に触れることがなく、今日何を食べるかどこへ行き何を消費するか、何も選択できず、社会が要求してくる「生産性」が存在しませんでした。
生産性って、仕事という生産行為だけでなく「獲得」からも感じることができますよね。楽しい経験を得ることや、何かを買うこと、なんなら単なるお金の使用自体からも生産性は感じることができて、何もしなかった休みの1日でもせめてスーパーに行ってトイレットペーパーでも買うと、何かをやった気になって脳が落ち着く。
でもホテルではそれさえできなかった。
ところが、自分が最初からその中に生まれ落ちたために存在を意識していなかった生活様式から離れた結果、私は思いがけない充足感を感じ始めていました。
内面化していた資本主義の倫理観から少し抜け出して、ただ「そこに生きている」ということに満足できたのかもしれない。
隔離を終えて街に戻り、全く歩かなかった2週間のリハビリのつもりで重い足をひきずって六甲山に登ったとき、空や雲、海といった自然の姿が今までにないほど鮮烈にすごい存在感で迫ってきて、びっくりしました。
そして見慣れた都市の景色つまり人間による人工物が、自然の中の奇怪な異物に感じた。もしかしたら六甲山の鹿とか猪の目に近づいているのかなとふと思った。
この時、私たちには当たり前すぎて意識さえできないけれど実はごく特殊で限定的な現代の人間の感覚から抜け出してみることが、この行き詰まりつつある世界についてもっと柔軟に未来を思考するための準備運動みたいに必要なことなんじゃないかという気がした。
そこから、ある種の知覚のトレーニングを構想するようになりました。六甲山の鹿のような、人間以外の存在がどのように世界を知覚しているのかを、観客に体験させるような作品です。
──「人間以外の視点で世界を見る」ために、どのような試みをされたのでしょう?
最初に挑戦した『バイオーム』(2022年、東京建物Brillia Hall)では、植物の意識世界を書いたんですが、朗読劇ということもあって植物に人間の言葉を語らせることになり、人間中心主義から抜け出せていなかったように思います。
ちょうどその頃読んだ『植物の生の哲学』(エマニュエル・コッチャ/勁草書房)に、あらゆる生命は「呼吸」という二酸化炭素の交換により大きなサーキュレーションを形成し、そこで境界なく混ざり合っている、ということが書かれていて、それが六甲山で受けた感覚と重なった。
それで、次の城崎国際アートセンターでの『呼吸にまつわるトレーニングプール』第1弾では、俳優やダンサーと一緒に、呼吸を手がかりに「人間以外の存在になる」方法を考えました。
今度は、『バイオーム』みたいにプロの演技者が植物や微生物を演じるのを観客に見せるのではなくて、プロの演技者が「人間の」ドラマを演じているのを、観客が微生物になって眺めてほしいって思ったんです。
そこで、オフィーリアの溺死っていう有名な悲劇を、皆さんに、水中のバクテリアや水草になって水中から鑑賞してもらったらどうなるかって思いついた。
でも俳優ではない一般の方が、人間ではない存在になるにはどうしたらいいのか。そこでは〈環世界Umwelt〉に注目した。
〈環世界〉とは、すべての動物はそれぞれに特有の知覚世界をもち、それにもとづいて行動しているという考え方です。 そうであれば、木になるには木を「真似る」のではなく、木のように周りを「感じとる」のがいいのではないか、ということで、川村さんのインストラクションを受けて日頃の感覚を変化させ、呼吸の仕方を変えることでいつもの自分ではない身体になってもらう方法を試した。木にはなれないけど、いつもの自分という人間の知覚からズレることを、非人間を演じることと設定しました。
今回、オフィーリアの死を、他の生き物となって眺める一般の方たちを「出演参加者」と銘打って、他に、水中生物になった出演参加者をさらに外から眺める「鑑賞者」の枠を設け、2つの枠で申し込みを受け付けました。オフィーリアの死を鑑賞する水中生物になった人々を遠巻きに鑑賞する人々、という入れ子構造です。
──実際の上演を終えて、感想は?
毎回「出演者」が違い、時間帯によって上演空間を通りすぎる一般の公園利用者のふるまいもちがいます。だから毎回が大きく違う作品になるのですが、最終日には、観客とパフォーマー、公園の空間が一体となって巨大な生き物のように見えました。その光景はとても壮観で感動的でした。
あと変な感想ですみませんが、ふだん人に見られる経験が少ない一般の出演者の方でも、いざ観客に「見られる」状況になると「やるしかない」という使命感が生まれるのか、本番ではリハーサルとは全く違う積極的なパフォーマンスになっていたのが驚きでした! よく「本番の舞台が役者を最も成長させる」といいますが、本当だったんだ…と(笑)
鑑賞者についても、完全な集中と静寂が求められる劇場とは違って、子ども連れでもちょっと離脱して遊んでから戻ったり、なんなら一緒にバクテリアになってもいい、自由で開かれた形にできたのはよかったですね。通りすがりの外国人旅行者が一緒に踊り出したり。
普段、虫が大の苦手という人も、出演者として公園の草木の細部を観察して人間以外の生き物を想像しているうちに、虫を親しく感じて草むらを全身で転がっていたという感想なんかも多かったです。
──第2弾を日比谷公園でやることになった経緯は?
城崎でのレジデンスでは室内での試演でしたが、結果を受けて、自然の中でやったほうがいいんじゃないかと思っていたら、Hibiya Art Park 2025という日比谷公園でのアートプロジェクトがあるということで、パフォーミングアーツ部のディレクターだった武田知也さん(一般社団法人ベンチ)が声をかけてくれたんです。
都心のど真ん中にありながら緑に溢れ、同時に都市のノイズに包まれた日比谷公園は、人間以外の存在になって人間の世界を眺めるのにぴったりの場所だと感じました。
──日比谷公園でのバージョンはどのように作られていったのでしょう?
振付家・パフォーマーの川村美紀子さん、アーティストのmiuさん(音を担当)と一緒に公園を実際に歩きながら、ツアーを組み立てていきました。日比谷公園には木々や土地の起伏、風や音といった情報があります。公園内を歩くとワークショップができそうなポイントが自ずと見つかり、公園そのものから促されてやることが決まっていった。
ツアー中に出演者にやってもらうワークショップでは、呼吸口を指先や背中に移し替えるイメージや、光を食べ物として取り込むイメージなどを使って、さらにミッドタウン日比谷の高層ビルを「巨大オフィーリア」に見立てるというちょっとバカバカしい趣向で、イマジネーションを広げました。
最終的には、皇居端の三笠山を観客席にし、川村さん演じるオフィーリアが登場して、出演者は山の斜面を転がりまわって素晴らしい演技をしてくれて。 出演者は「自分たちの縮尺が小さくなった」という想像を共有し、日常生活では考えることがないことに思いをはせ、自然界と古典演劇の一場面を一体化させることができたんじゃないかな。
──音響もユニークでした。
最初は、公園内の各所に大きなスピーカーを置いて出演者にナビゲーションをすることを考えたんですが、公園をあらかじめ「舞台」として加工することが嫌だったのと、一つの音源から大きな音を流すことが権威的に感じられたので却下になり。
出演者がそれぞれ小さなラジオを持ち歩いて音を運ぶ形にしました。そうすることで、ラジオからの指示も「やってもいいし、やらなくてもいい」という「提案」の形にできますし、集団から離れても音は聞こえるし、移動する集団がモワモワと音を発生させて場所を変容させていくのが面白い。
一方で、鑑賞者の人たちにも何か聞こえたほうがいいだろうということで、スマホからのストリーミングを併用しました。 ストリーミングでは、「散歩」の邪魔にならない朝のラジオのようなどうでもいい内容の偽ラジオ番組と、『ハムレット』のオフィーリアが溺れる場面の情景描写と現代音楽を組み合わせた音声を流しました。
結果的に、演じる側と観る側で異なる体験を生み出すことができたと思います。
──事前にこうしたものになることは想像されていたのでしょうか?
最初に具体的な道筋や結末を決めて創り始めることはしていません。 一般出演者にやってもらうことも「走るのか座ったままか」さえわからないまま始めて、公園に行ってみたら自然に形が生まれ、最終的にあのような表現になりました。
──早朝8時開始の回もありました。出社前に参加した人もいたようです。
近くに野外音楽堂があって午後になるとサウンドチェックが始まったり、正午の鐘が鳴ったりするので、それを避けるために朝8時というチャレンジングな時間帯になりました。
静寂を求めた結果ですが、たくさんの参加者が早起きして来てくれたのはありがたかったです。
──出演者には出演料が支払われました。ワークショップでは珍しいのでは?
公共の場で「人間以外の存在になる」ということは、ある種無防備な姿をさらすことですし、人に見られるということにはそれなりのリスクや覚悟がいる。
「出演する」ことのモチベーションになればという思いもありましたが、出演者に2000円という出演料を払うことで、そうしたリスクについての合意を形成したいという意味合いもありました。
──各回の終演後には感想の交換が行われ参加者が発言する機会がありました。なぜそのような時間を設けたのでしょう?
普通の観劇でも、体験を言葉にせず感覚のまま持ち帰りたい人もいれば、誰かと共有したい人もいるでしょう。
今回、出演希望者の応募の際にはミニエッセイを書いてもらったのですが、読むとどれも創造的でとても面白く、必ずしも職業的アーティストだけが「表現者」なのではないと感じました。昔から地域住民が盆踊りで民謡を歌ったり、氏神のために神楽を舞ったり、誰でも表現をしてきましたよね。そうした人間本来の力を皆で分かち合いたいんです。
──最後に何かあれば。
限定的な現代の人間の感覚から抜け出してみること、柔軟に未来を思考するための準備運動をやってみるという当初の目的は実現できたように感じます。
今後、地方などいろんな自然環境の中で、違う地域の住民の方たちともリクリエーションしてみたいです!お声がけお待ちしています!
プロジェクトが終わった後のアンケートでは、参加者の皆さんがそれぞれ独自の内的な体験をしたことがわかって、嬉しかった。
そんな感想の一例で、竹内さんが書いてくれたレポートをサイトに掲載したいと思います。
演出/コンセプト:上田久美子
音:miu
動きのナビゲーション:川村美紀子
テクニカル・ディレクション:遠藤豊(LUFTZUG)
サウンドエンジニアリング/オペレーション:中原楽(KARABINER inc.)、荒井勇人(株式会社 大城音響事務所)
メインビジュアル:小池アイ子
コーディネート:一般社団法人bench
制作:佐藤瞳(bench)
協力:城崎国際アートセンター(豊岡市)、公益法人セゾン文化財団
Outside Eye:大崎晃伸















©︎Ryota Haraguchi